『クラウゼヴィッツ「戦争論」を読む』--第4章 攻撃と防御
第4章 攻撃と防御
戦争における軍事行動に攻撃と防御があることは、ある意味では常識であろう。その一方で、攻撃と防御の本質的な違いはどこにあるのであろうか。
ここでは、防御から攻撃という『戦争論』の記述順序で、それぞれの概念や本質的な違いを見てみよう。
○ 防御とは何か
○ 戦史にみる防御の強さ
○ 新しい抵抗方式
○ 攻撃と防御の相互関係
○ 攻撃はどのように使用されるのか
○ 攻撃(勝利)の限界点
『戦争論』の第6編と第7編
防御と攻撃の関係
クラウゼヴィッツは弁証法的な分析を通じて防御と攻撃を分析した。防御と攻撃は対極的な性質を持ちながら相互に依存している。
○弁証法的な攻撃と防御の分析
戦争には攻撃と防御という二つの代表的な「戦術行動」がある。クラウゼヴィッツは『戦争論』第6編に「防御」、第7編に「攻撃」と題してそれぞれとりあげている。
この防御と攻撃の考察にも弁証法的な分析方法が適用されている。クラウゼヴィッツは「防御は受動的だが強い戦闘方式」と見なし、「攻撃は能動的だが弱い戦闘方式」と見なした(この理由は後述する)。また、防御と攻撃は対極する性質を有する一方で、防御と攻撃は相互に依存しているという。つまり、防御の中にも攻撃(攻撃的要素)があり、攻撃の中にも防御(防御的要素)があり、それぞれ流動的な関係で結ばれてお互いに依存しているのである。この防御と攻撃の依存した関係に関しては、それぞれ項目を追いながら具体的に説明していこう。
○戦略レベルの防御と攻撃
防御と攻撃はもともと個々の戦闘や小規模な作戦に見られる戦術的な行動だが、戦争を全体として見た戦略レベルでも防御や攻撃といった軍事行動がある。現在では防御的な軍事行動は防勢作戦や防衛戦争とよばれ、攻撃的な軍事行動は攻勢作戦や攻勢戦争とよばれている。
しかし、クラウゼヴィッツがいた当時のドイツ語にはこのような戦略レベルの防御や攻撃をあらわす"便利な"言葉はなく、『戦争論』では戦略レベルでも「防御」または「攻撃」という用語が使用されている。この第四章でも原典の『戦争論』に準じて戦略レベルでも「防御」または「攻撃」の用語を使用するが、それぞれ補足しながら書き進めていくことにする。
防御とは何か?
防御と攻撃的要素
防御は基本的に敵の攻撃を待ち受けるという受動的な行動であるが、反撃や逆襲など攻撃的要素も含んでいる。
○防御とは何か
クラウゼヴィッツは防御とは「敵の攻撃を阻止する」ことだと述べている。そして、この防御の特色は「攻撃を待ち受ける」ことだという。また、この特色によってのみ、防御という行動が特徴付けられるとしている。つまり、防御とは相手が攻撃してくることを前提として攻撃を待ち受け、阻止する行動なのである。また、クラウゼヴィッツはどのような規模のものであっても敵の攻撃を待ち受けて行う行動はすべて防御に含まれるとしている。
しかし、クラウゼヴィッツは「絶対的な防御は戦争の概念と完全に矛盾する」と述べている。絶対的な防御、すなわち、ただ単に守るばかりでまったく攻撃的な要素がないことは、戦力を消耗するだけで無意味な行動といわざるをえないからである。
○防御の中の攻撃的要素
クラウゼヴィッツは相手の攻撃を待ち受けるという受動的な防御の特色によってのみ、戦争において攻撃と防御を区別することができると述べている。いいかえれば、防御と攻撃を区別するものは相手の攻撃を待ち受ける行動か、みずから積極的に仕掛ける行動かだけの違いになるのである。
ところが、このような防御の基本的概念は、防御という全体の概念のみに該当し、防御という行動のすべてに当てはまるわけではないと彼は述べている。なぜなら「防御的な戦役において攻撃的な打撃を加え、あるいは防御的な会戦において個々の師団を攻撃的に運用し、さらには敵の突撃に対して軽易な陣地から攻撃的な射撃を浴びせること」があるからである。つまり、いかなる防御でも国土に侵入した敵の撃退、戦力の低下した敵に対する反撃、あるいは陣地を奪回するための逆襲など攻撃的要素を含んでいるのである。
防御とは何か?
防御が攻撃よりも強い理由
クラウゼヴィッツは、防御は攻撃より強力な戦闘方式であると見なし、その2つの利点をあげている。
○防御の利点
前項では防御の概念と防御の持つ攻撃的要素を見てきた。この項では防御の利点について見てみよう。クラウゼヴィッツは防御の利点は「保持すること」であり、保持することは獲得することよりも容易であると述べている。同じ戦力と資源を持っていることを前提とすれば、攻撃側が無駄にすごす時間はすべて防御側に有利に作用する。なぜなら、攻撃側における誤った判断、恐怖心、怠慢などによる攻撃の中断はすべて防御側を利するからである。
また、防御のもう一つの利点は地形を利用することであるとクラウゼヴィッツは述べている。防御ではみずから有利な地形を選択し、攻撃を待ち受けることができる。また、敵が前進して攻撃を準備する間の時間的な余裕を利用して、陣地や障害物をつくることによって地形を強化することも可能であるとしている。
防御が持つこれら二つの利点は非常に大きいものである。しかし、一般的には防御は軽視され、攻撃こそが戦略・戦術の基本であると考えられてきた。ところが、第一次世界大戦の西部戦線※では両軍が塹壕を築いて防御を行い、両軍が何度か総攻撃を行ったがそのたびに大きな損害を出して撃退された。
○防御の選択
クラウゼヴィッツは防御は相手を弱体化させるために一時的に選択される行動であるとしている。そして、防御が成功して相手の戦力を大幅に低下させることができたならば、その有利な状態を利用して最終的には反撃や逆襲など攻撃に移行しなければならないのである。また、防御は味方の戦力が劣勢な場合だけでなく相手と同等か優勢な場合でも、防御の利点や効果を期待して選択されることがありうる。
※第一次世界大戦の西部戦線ではドイツ軍と英仏軍の両軍が塹壕を築いて防御を行い、両軍が攻撃を繰り返したが成功せず、両軍に膨大な損害がもたらされ、このような防御の強さが人々に衝撃を与えた。
戦史に見る強力な防御
強力な防御法
国土の内部へ自発的に後退して行う防御法は防御の利点を最大限に発揮するため非常に強力である。
○強力な防御法
この項ではクラウゼヴィッツがあげる具体的な防御法を見てみよう。
クラウゼヴィッツは攻撃のために前進する場合、その戦力は前進そのものによって必ず弱体化されると述べている。なぜなら、敵との戦闘による兵士の死傷や、食糧や装備の輸送を防護するために兵を割くことなどによって、前方で戦闘する兵士の数は攻撃の進展とともに減少するからである。逆にいえば、敵を前進させて戦力を消耗させれば防御側にとって有利な状況になる。このため、クラウゼヴィッツは国土の内部へ自発的に後退する防御法は非常に強力であると見なした。その一例がナポレオンのモスクワ遠征である。
1812年5月、ナポレオンは60万人の大軍をもってロシアの首都モスクワへ向けて進撃を開始した。戦力で大きく劣るロシア軍は、退路を焼き払いながらモスクワへ自発的に後退した。9月14日、ナポレオンはモスクワに入城したが、ロシア軍はモスクワに火を放ってさらに国土の奥深くに後退し、講和に応じなかった。10月19日、冬の到来とともにナポレオンが後退を開始すると、ロシア軍は後方や側方から攻撃し、フランス軍を潰滅させた。
○最後の手段としての防御
このような防御法は国土の荒廃と後退にともなう国民の士気の低下をもたらすが、劣勢な防御側が取りえる最後の手段として有効であるという。
ナポレオン軍とロシア軍の戦力の格差は当初約2倍であった。ところが、ナポレオン軍の戦力はヴィテプスクで25万人(7月25日)、スモレンスクで18万2000人(8月16?18日)であり、ボロジノではついに12万人(9月7日)に減少した。ここには、戦闘による死傷だけでなく、攻撃のための前進そのものによって大きく戦力が減少する※ことがよく現れている。
※戦争において非常に多く見られる現象であり、後方連絡線(補給路)が延びて前方の戦力が急激に減少する。朝鮮戦争初期の北朝鮮軍の釜山をめざす攻撃や最近のイラク戦争においても見られた。
新しい抵抗方式
国民の武装と抵抗:ゲリラ戦
クラウゼヴィッツはみずからのゲリラ戦の経験を踏まえてゲリラ戦に言及し、ゲリラ戦の原則や有効性について述べている。
○ゲリラ戦を経験したクラウゼヴィッツ
クラウゼヴィッツは『戦争論』第6篇「防御」の中で、防御と同じように基本的に劣勢な側が取りうる手段であるゲリラ戦について述べている。ちなみにゲリラという言葉は、スペインの農民たちがナポレオンの侵攻に抵抗した戦いを「ゲリリャ(小さい戦争)」とよんだことに由来している。
クラウゼヴィッツは初陣のライン戦役(1793年)でゲリラ戦を経験し、ロシア軍に移ってからは、農民がナポレオン軍の後方や側面を攻撃するパルチザン戦争※を目撃した。また、その後の開放戦争(1813年)では、プロシアの義勇軍によるゲリラ戦をもってナポレオンと戦った。
○ゲリラ戦の原則
このような経験を踏まえて書かれた『戦争論』第6編第26章の「国民の武装」は、ゲリラ戦を分析したはじめての記述といえる。中国共産党の毛沢東が対日戦争とその後の国共内戦で全面的に活用したゲリラ戦の戦略は『戦争論』のこの章の記述に大きな影響を受けている。
クラウゼヴィッツはゲリラ戦の原則として、義勇軍や武装した民衆のゲリラ部隊は「敵の主力や大きな軍団に対して決して使用してはならない。その使用の目的は敵の中核を粉砕するのではなく、表面や周辺を侵食することにあり、戦場の側方で敵が戦力をもって侵攻しない地域において活動し、この地域を敵の勢力圏外に置くことにある」と述べている。
つまり、民衆が武装したゲリラの攻撃目標は敵の強力な主力軍ではなく、警戒の手薄な小部隊や後方の補給施設などである。このため、敵はゲリラ活動に対して防護のために多数の部隊を派遣する以外になく、それによって敵の主力軍の攻撃は弱められるのである。
※パルチザン戦争:ロシアの農民や労働者がおこなったゲリラ戦による戦争
攻撃はどのように使用されるのか
攻撃の目標と役割
これまで、攻撃と防御のそれぞれの特性、相違や相互関係を見てきた。それでは、攻撃は、戦争においてどのような役割を果たすのであろうか。
○攻撃の目標
前項までは主に防御について見てきた。この項から『戦争論』第七編「攻撃」の内容を中心に、クラウゼヴィッツが分析する攻撃について見ていこう。
クラウゼヴィッツは戦争の目標※は、敵の戦闘力の撃破という手段による、敵の打倒であると述べている。また、このことは防御と攻撃の両方にあてはまるという。防御は敵の戦力を弱体化した後に反撃や逆襲といった攻撃に移行して、敵の打倒、すなわち敵を自国の領土から追い出す。一方、攻撃において敵の打倒とは、敵国へ攻め込んで敵の国土を占領することを意味する。
ただし、敵の国土を完全に占領する必要はなく、持っている戦力に応じて敵国の領土の一地方や、一つの都市、一つの要塞などの占領に限定することも可能であるとクラウゼヴィッツは述べている。なぜなら、これら占領した敵国の領土の一部は、確保するか交換するかを問わず、講和に際して政治的な条件として十分な価値を有していればよいのである。
○現実の戦争における攻撃の目標
上記のことを、クラウゼヴィッツは、「したがって、戦略的な攻撃の目標として、国土の完全な占領から取るに足らない地域の占領に至るまでのさまざまな段階のものを考えることができる」と述べている。すなわち、現実の戦争では、保有する戦力に応じてさまざまな攻撃の目標があり得るのである。
このような場合、クラウゼヴィッツがいうように「将軍が占領すべき目標を正確に定めていることは稀である。そうではなくて、将軍は、これ(どの程度の目標とすべきか)を状況の推移にまかせる」。つまり、成り行きに応じて可能な範囲でなるべく大きな成果が追求されるのである。しかし、それによって攻撃の限界点(後述)を踏み越えるという新たな問題点が生ずる。
※有利な条件での講和の締結である戦争の目的(政治的目的)とは異なることに注意。
攻撃の中の防御的要素
攻撃が内包する2つの防御
戦略レベルの攻撃には防御的要素が含まれる。攻撃においても休止する時間が必要であり、また補給路を防護する必要があるからである。
○戦略レベルの攻撃には防御が必要
防御には攻撃的要素があることはすでに見てきた。クラウゼヴィッツはそもそも攻撃がそれ自体が完結した行動であるため、攻撃という概念の中には防御的要素は含んでいないとしている。しかし、戦略レベルにおけるような長期間にわたって継続される攻撃には防御的要素が含まれるという。彼は次のような二つ理由をあげている。
第1に長期間にわたる攻撃には休止する時間が必要であり、攻撃軍はこの休止の間は無力になるので、みずから防御の状態を取らざるをえない。たとえば一回の攻撃が終わると、弾薬や食糧の補給、装備の整備、これまで攻撃してきた部隊と交代するための新しい戦力の投入といったことをしなければならないのである。第2に、攻撃軍の後方連絡線(補給路)の防御である。攻撃軍が攻撃を維持するための生命線ともいえる部分なので、とくに注意して後方連絡線は防御しなければならないのである。
○攻撃に含まれる防御は攻撃を弱体化させる
ところが、このような攻撃に含まれる防御的要素は攻撃そのものを弱体化させるとクラウゼヴィッツは述べている。たとえば、攻撃軍が敵地の奥深くにまで達すると一般的に攻撃側の戦力は低下するため、ますます多くの休止が必要となる。また、後方連絡線(補給のための輸送路)が延びてその防護に必要な戦力はますます増大することになる。これらの防御の結果、攻撃軍は停滞と戦力の低下を招くことになるのである。
また、クラウゼヴィッツは「このような防御に移行せざるをえないことは、攻撃におけるもっとも脆弱な要素」と指摘している。攻撃側に防御的要素が出現した瞬間は防御側による反撃の絶好の機会となるからである。
勝利の限界点?
戦闘力の減衰と攻撃の限界点
攻撃側の戦闘力はたび重なる戦闘や補給の困難により必ず減衰していき、やがて「攻撃の限界点」に達する。
○戦闘力の減衰
この項と次項では、攻撃における攻撃側の戦闘力は減衰するものだとする「攻撃(勝利)の限界点」について見ていこう。クラウゼヴィッツは戦闘力は次第に減衰していくと述べている。まず、最初の戦闘で攻撃側の戦闘力は減衰する。しかし、敵の領土を占領しようとする攻撃側の目的は最初の戦闘だけで放棄されることはなく、攻撃側は戦闘力の減衰に耐えて前進することになるであろう。
ところが、攻撃側は後方連絡線(補給路)を確保するために後方の地域を防護しなければならず、このために割かれる戦闘力は無視できない。また、攻撃側が前進すれば前進するほど後方連絡線が延び、補給を確保するための活動はますます困難になる。このことに防御側との戦闘による損耗が加わるため、攻撃側の戦闘力はさらに減衰していくのである。
○攻撃の限界点
クラウゼヴィッツはこのような戦闘力の減衰に比例して攻撃側の優勢も低下し、やがて「攻撃の限界点」に達すると述べている。
攻撃側の優勢が日ごとに低下するにもかかわらず、講和まで優勢が維持されれば目的の達成、つまり攻撃側に有利な講和条件で戦争を終結させることができる。しかし、攻撃側の戦闘力が低下し、なんとか持ちこたえているだけの状態にまでになることもある。このような状態にまで至ると、防御側の反撃による優勢・劣勢の「逆転」が起こるのである。クラウゼヴィッツはこのような優勢・劣勢の変換点を「攻撃の限界点」とよんでいる。
攻撃における戦闘力の減衰や攻撃の限界点の見極めは現実の戦争では非常に重要であるが、歴史上しばしば無視され、多くの過ちが繰り返された。
4?10 勝利の限界点?
勝利の限界点を見極めることの重要性
攻撃の限界点は、戦争全体から見れば勝利の限界点でもある。勝利の限界点を見極めることは非常に重要であり、戦争の理論の主要な命題である。
○勝利の限界点とは何か
クラウゼヴィッツは攻撃の限界点に続いて、「勝利の限界点※」という章を設けている。この章の冒頭で、あらゆる戦争において勝利者は敵を完全に撃滅できるわけでなく、多くの場合に勝利の限界点が出現すると述べている。
なるべく大きな成果が追求される場合、人間の欲望はともすれば限界を踏み越えてしまいがちである。とくに当初の攻撃がうまくいった場合などは、その攻撃を継続してもっと大きな成果を追及した結果、十分な対応の準備がないままに敵の大規模な反撃に遭遇することになる。太平洋戦争において、日本軍は真珠湾攻撃の成果に乗じてミッドウエー島の攻略を計画し、米軍の反撃を受けたことはその一例である。
○勝利の限界点を見極めることはなぜ重要か
また、クラウゼヴィッツは勝利の限界点は攻勢から防勢への転換点でもあり、すべての戦役計画の目標となると述べている。保有する戦力を考慮して達成可能な目標で攻勢を停止し、それ以降は防勢に転換して有利な態勢で敵の反撃を待ち受けてはじめて、現実の戦争の目標を達成することができるのである。また、彼は達成可能な目標以上のものを追求することは、何の成果ももたらさないばかりでなく、敵の反撃を招く危険性があると述べている。上にあげた太平洋戦争の例のように、攻撃によってせっかく獲得したものが全部失われるだけでなく、みずからも撃破される結果となるのである。したがって、勝利の限界点を見極める判断は非常に重要である。
しかし、クラウゼヴィッツも述べているように、この判断にはさまざまに入り組んだ数千の選択肢があり、しかも戦争の結果に対する重大な責任がある。これらは指揮官の判断を誤らせることになる。
※攻撃の限界点と同意義。戦争全体を通して見れば、勝利の限界点の方が適切であるため。